大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)2737号 判決

原告 桜井志げ ほか三名

被告 国

訴訟代理人 久野忠志 下畑治展 ほか五名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告桜井志げに対し五二万七七五六円、同桜井良彦、同桜井利彦、同桜井和彦に対しそれぞれ三五万一八三七円および右各金員に対する昭和四八年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  桜井正一は昭和三二年ないし昭和三五年度分の各事業所得につき確定申告をしなかつたので、名古屋東税務署長は同人に対し、右各年度において別表(一)記載のとおりの事業所得があり、従つて総所得金額、申告納税すべき税額、無申告加算税は同表記載のとおりである旨決定をした。

2  桜井正一は、右各決定について、名古屋国税局長に対し、前記昭和三二年ないし昭和三五年度の事業所得はないとの理由で審査請求をしたところ、右国税局長は、昭和三二、三三、三五年度については棄却し、昭和三四年度について事業所得等を別表(二)記載のとおりとする旨の審査決定をした。

3  そこで桜井正一は別表(三)のとおり昭和三二年ないし昭和三五年度の税金等として合計一七八万六六五〇円を納付した。

4  前記決定及び審査決定において名古屋東税務署長及び名古屋国税局長が桜井正一の所得を前記のとおりに認定したのは、同人の鷹尾正一(連帯保証人加藤むら)に対する四九万六八〇〇円の貸付金(昭和二八年六月二五日名古屋法務局所属公証人萩本亮逸作成にかかる第五六七三九号金銭貸借公正証書によるもの。弁済期昭和二八年九月三〇日)につき一〇〇円について日歩五〇銭の割合による遅延損害金が定められており、また、同人の中村勝彦(連帯保証人中村松代)に対する七七万五五〇〇円の貸付金(弁済期昭和三三年九月二〇日)につき年一割八分の割合による利息及び一〇〇円について日歩九銭八厘の割合による遅延損害金が定められていたところから、桜井正一には別表(四)の収入合計欄記載の収入金額があると認めたことによる。

5(一)  しかしながら、桜井正一が昭和三二年ないし同三五年度において、右鷹尾及び中村から現実に受理した金員は別表(五)記載の金額のみである。

(二)  桜井正一は昭和三六年一〇月二八日鷹尾に対する前記貸金の遅延損害金請求権を全て放棄した。

また中村勝彦及び中村松代はそのころ行方不明となり、そのため中村勝彦に対する前記貸金、その利息及び遅延損害金の回収の

見込みはなくなつた。

仮りに鷹尾及び中村に対する右各債権が存在したとしても、それらはいずれも債権者の請求がなされないまま一〇年を経過したので、時効により消滅し、右債権を回収することはできなくなつた。

(三)  右の桜井正一が現実に受領した所得に基づいて計算した税額は別表(六)記載のとおりとなり、その合計は二〇万三三八〇円である。

6(一)  従つて昭和三二年ないし昭和三五年度において桜井正一が被告に納付すべき税額の合計は前項の金額であるにもかかわらず、同人は第三項の金額を被告に納付したのであるから、その差額は被告が正当の原因なくして利得したものである。

(二)  昭和三七年法律四四号による改正前の所得税法は所得算定方法につき、いわゆる発生主義を採るが、これは債権について言えば現実の回収が行なわれない前に現実の収入があつたと同様に課税することを許すものであるから、後に現実の回収が不可能であることが確定した場合には実質上所得なくして課税したことになる。このような不公正を是正するためには不当利得の法理を適用すべきである。

(三)  事業上の貸倒れ損失について、その事実が生じた年度分の事業所得の計算上必要経費または損失に算入すべきものとしても、桜井正一には昭和三六年度以降の事業所得が存在しないので必要経費または損失に算入できない。

よつて桜井正一の場合救済が不可能である。

(四)  仮りに被告が主張するように、昭和三六年法律第三五号による改正前の所得税法(昭和二二年法律第二七号、以下「旧所得税法」という)の定める後記二3(二)記載の救済措置を受けえたとしても、この救済措置を求めることは納税者の義務ではないから、桜井正一がこの措置を求めなかつたからといつて不当利得返還請求権が発生せず、または消滅するというものではない。

7  桜井正一は昭和四九年一〇月二一日死亡したので、相続により、同人の妻である原告桜井志げは桜井正一の権利義務の三分の一を、同人の子である原告桜井良彦、同桜井利彦、同桜井和彦はそれぞれその九分の二を承継した。

8  よつて原告らは被告に対し請求の趣旨記載の金員とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四八年一二月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する答弁

1  請求原因1ないし4の事実は認める。

2  同5については、その(一)の事実は不知、(二)の事実は否認する。(三)は桜井正一が現実に受領した金員は不知であるけれども、原告ら主張の所得を前提として計算した税額が別表(六)記載のとおりとなることは認める。

3  同6は争う。

(一) 桜井正一の係争各年度における総所得金額は請求原因2に記載の名古屋国税局長の認定どおり適法に確定したものである。

即ち、桜井正一は昭和三二年ないし昭和三四年分の、右審査決定を経た課税処分を不服とし、昭和三六年一〇月七日名古屋地方裁判所へその取消を求めたが、右請求は棄却され、控訴、上告したが右課税処分は適法であると判断されたので、右課税処分は不可争のものとして確定している。

従つて右課税処分に基づき納付された税金は法律上の原因がある。

(二) しかも、債権が後日回収不能となつた場合には、旧所得税法上、つぎの救済措置があり、本件はその適用をうけるので不当利得の法理の問題が生じる余地は全くない。

(1) 回収不能となつた年分の必要経費に算入

(2) 損益通算

(3) 純損失の繰戻しによる還付

(4) 純損失の繰越控除

仮りに、昭和三二年ないし同三五年度において、貸倒れ損失が生じたとしても、桜井正一は鷹尾に対する貸金の元金については放棄していないので、右放棄の日以後の損害金債権は発生しており、また他にも貸付先があつたので、同人には昭和三六年度以降の事業所得が存在しているから、旧所得税法上の救済措置を受けえた。

右の場合に、桜井正一が税法上の救済措置を受けなかつたことは自ら救済の権利を放棄したものであるから不当利得返還請求権は認められない。

4  請求原因7の事実は認める。

5  同8は争う。但し、訴状送達の日の翌日が昭和四八年一二月二二日であることは認める。

三  抗弁

1  仮りに原告に不当利得返還請求権が生じたとしても、右請求権は公法上の請求権であるから会計法第三〇条の規定が適用されるところ、右請求権はその発生した昭和三六年一〇月二八日から五年を経過した昭和四一年一〇月二八日の経過により時効消滅した。

2  仮りに右会計法の規定が適用されないとしても、民法第一六七条により、右昭和三六年一〇月二八日から一〇年を経過した昭和四六年一〇月二八日の経過により時効消滅した。

四  抗弁に対する答弁

抗弁事実はいずれも争う。

本件不当利得返還請求権は公法上の請求権ではない。

また、時効期間の起算点については、前記課税処分に対する取消訴訟についての上告棄却の判決のあつた昭和四七年一二月二二日を起算点とすべきである。なぜならば、桜井正一はこの時に不当利得返還請求権を行使しうることを知つたからである。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因事実1ないし4は当事者間に争いがない。

二  (鷹尾正一に対する債権の回収不能)

〈証拠省略〉によれば鷹尾正一および加藤むらは、昭和三二年から昭和三六年一〇月二八日までの間には、桜井正一に対して別表(五) 鷹尾からの弁済欄記載の金額を越える金員を支払つていないこと、桜井正一は、昭和三六年一〇月二八日ころ、鷹尾正一および加藤むらに対し、同人らに対する四九万六八〇〇円の貸金債権に対する右同日までの遅延損害金債権を放棄する旨の意思を表示したこと、の各事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。右事実によれば、桜井正一が鷹尾および加藤から受領した金員全額が、昭和三二年から昭和三五年までの遅延損害金に充当されたとしても、右期間内の遅延損害金は少なくとも三五六万二六四〇円が未収となり、従つて、放棄により右期間内の遅延損害金は少なくとも三五六万二六四〇円が回収不能となつたことを認めることができる。

五  (中村勝彦に対する債権の貸し倒れ)

(一)  〈証拠省略〉によれば、桜井正一の中村勝彦に対する七七万五五〇〇円の債権に対し、中村勝彦、中村松代、株式会社中村サツシユ製作所において、その弁済をしたが、その金額は昭和三三年中には二二万円、昭和三四年中には三八万〇五五六円、昭和三五年中には六万八四二六円をいずれも越えないこと、その後昭和三八年五月ころまでには右債権の遅延損害金の支払はなされていないことの各事実を認めることができる。

ところで、課税処分の対象となつた昭和三三年および昭和三四年の収入すべき金額(遅延損害金債権)の合計は五七万三六八〇円であるところ、桜井正一が右収入すべき金額(遅延損害金債権)に対する弁済として受領した可能性のある金額は昭和三三年および昭和三四年の合計が六〇万〇五五六円となり、右期間の収入すべき金額の合計を越えるから、前記認定事実からは、桜井正一の昭和三三年および昭和三四年の遅延損害金債権について未収部分が生じたとの事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

しかし、昭和三五年の遅延損害金債権については昭和三八年五月ころまでには少なくとも二〇万八九七〇円が未収であつたと認めることができる。

(二)  そこで右未収金が回収不能となつたか否かについて検討する。

(1)  原告らは中村勝彦および中村松代は昭和三六年一〇月ころ行方不明となつたため前記遅延損害金債権の未収金が回収不能になつたと主張するが、右両名の行方不明については、原告桜井志げ本人尋問の結果中に、中村勝彦が昭和三六年一月ころ行方不明になつた旨の供述部分があるものの、他方、〈証拠省略〉によれば、戸籍の付票には中村松代が名古屋市北区水切町から転居した年月日は昭和四〇年八月三日とされていること、中村松代は昭和四九年四月ころ市川朋生に対し昭和四〇年八月ころまで水切町に居住していたと述べたこと、中村勝彦は中村松代の子であり、本件貸借当時には中村松代と水切町において同居していたことの各事実を認めることができ、右各事実に徴すれば、前記原告桜井志げ本人の供述部分はこれを採用できず、他に中村勝彦の行方不明を認めるに足りる証拠はない。また中村松代の行方不明をも認めるに足りる証拠もない。

以上によれば、遅延損害金債権の未収部分が中村勝彦および中村松代の行方不明のために回収不能になつたとは認められない。

(2)  次に、原告らは前記遅延損害金債権の未収部分については請求しないまま一〇年を経過したから時効により消滅し、回収不能となつた旨主張するから、これについて検討するに、〈証拠省略〉によれば、中村勝彦および中村松代からの弁済は昭和三五年三月ころ停止され、その後は昭和三八年五月までなされていないことを認めることができ、さらにその後に弁済したと認めるに足りる証拠がないから前記認定の未収の二〇万八九七〇円については時効によつて消滅し、回収不能となつた可能性がないわけではないと認められる。

四  (不当利得)

原告らは前記遅延損害金債権の未収部分について納税した税額は不当利得となる旨主張するのでこの点について検討する。

(一)  昭和三六年法律三五号による改正前の所得税法(昭和二二年法律第二七号、以下「旧所得税法」という)は金銭債権の所得算定方法としていわゆる債権確定(発生)主義を採用し、金銭債権の確定的発生時期を基準として所得税を賦課徴収することを定める。この債権確定(発生)主義によれば債権の現実の回収が行われない前に現実の収入があつたと同様に課税することを許すものである。従つて、債権が納税後に回収不能となつた場合には、右課税は、結果的には実質上所得なきところに課税したことになる。この点の不合理を是正するため、事業所得については、旧所得税法上、(1)回収不能となつた年度の必要経費に算入、(2)損益の通算(法第九条の三)、(3)純損失の繰戻しによる還付(法第三六条)、(4)純損失の繰越控除(法第九条の四)、の四方法が存在する。

ところで、回収不能部分に対する納税について右各方法により是正されうる場合においては少なくとも、右納税額が不当利得として返還請求の対象となることはないと解するのが相当である。けだし、もともと課税処分自体は有効に存在するので、形式的にはそれに基づく納税が法律上の原因を欠くとする余地はなく、結果的に所得がなかつたということだけでたやすく右不当利得の返還請求を認めることは困難であるところ、右是正方法が適用されうる場合であればなお更のことであるからである。

しかし、右各方法によつても是正されない部分が残り、かつ課税庁が自らの権限により右回収不能部分についての課税につき是正措置をとらない場合であつて、しかも、右回収不能債権の発生が客観的に明白で、課税庁に認定判断権を留保する合理的必要性が認められず、かつその発生が納税者の責に帰すべからざる事由による場合には、前記のような是正されない回収不能部分についての納税について納税者がこれを甘受しなければならないとすることは著しく不当であり、かかる場合には、債権確定(発生)主義の建前があり課税処分自体は有効に存在するとはいえ納税者は、課税庁の是正措置を待つまでもなく、右回収不能の債権についての納税済の税額について、法律上の原因を欠く利得として返還を求めることができると解すべきものである。

(二)  そこで、本件における回収不能の債権について検討する。

(1)  鷹尾正一に対する債権の回収不能については、納税者である桜井正一の放棄によつて生じたことは既に認定したとおりである。このように納税者の意思に基づいて回収不能となつた場合には、他に特段の事情のない限り、右回収不能は納税者の責に帰すべからざる事由によるものと言うことはできない。右特段の事情については本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

(2)  中村勝彦に対する債権については、前記認定のとおり、時効によつて消滅したため回収不能となつた可能性もあるが、債権が時効によつて消滅したことは特段の事情がない限り、債権者がその回収を怠つたのが原因であるから、右回収不能が納税者である債権者の責に帰すべからざる事由によるものとは言えない。

右特段の事情については本件全証拠によるもこれを認めることはできない。

(三)  以上によれば、桜井正一の回収不能の債権についての課税が旧所得税法上の是正措置により是正されるか否かその他の検討をするまでもなく、これにつき不当利得の返還請求権の生じる余地はない。

五  (結論)

よつて、原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九三条第一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 越川純吉 伊藤邦晴 松本哲泓)

別表〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例